質で勝負!多くの方とお会いして、手当たり次第にご紹介することにより数をこなすのではなく、ご縁をいただいた方々とじっくりとお話をさせていただき、ご希望、キャリアプランを十分に伺った上で、私なりの見解、アドバイスをさせていただき、納得いただいた上で案件をご紹介させていただくと共に最後までお付き合いできるようなコンサルティングを目指しています。
明治大学商学部卒。
卒業後昔からの夢であったアメリカ留学をあきらめられず数年間のアルバイト生活を経てアメリカに留学。1987年American Graduate School of International Management(通称Thunderbird)を卒業。卒業時、幸いにも数社からのオファーをいただきましたが、同じ学校に留学をしていた方からのアドバイスもあり安田信託銀行(現、みずほ信託銀行)に入行いたしました。当初の配属先は資本市場部であり、ユーロ円債、仕組み債の金融機関営業及び国内社債起債事務等を経験いたしました。その後、証券管理部に異動になりました。
証券管理業務なんて、本当に自分のやりたい仕事ではないと考え何社かの転職の面接を受けたこともありましたが、その様な時期に某米国証券会社の支店長との面談で「ノルマが達成できず、今日限りだと言われた時に泣き言を言わずに辞められるのか?新聞配達をしてでも家族を養うほどの、強い気持ちを持って仕事に臨むほどの自信があるのか?」と言われ。。。。。
既に30歳になり結婚をし子供も出来ていたこともあり、どのようなめぐり合わせであろうともその時点で自分が他人より誇れるものはこの数年の証券管理業務経験しかないことを理解し、この世界(バックオフィス)で生きることを決意いたしました。その後、1994年安田信託亜多有限公司(香港)への出向を経験し、1997年の香港の中国返還を経て、年末に山一証券が潰れるなどのバブル崩壊の時期ではありましたが、縁あってシティバンクにおいてグローバルカストディを展開している当時のWWSS(World Wide Security Services)に1998年6月に転職をいたしました。その当時WWSSでFund Adminをビジネスラインに加える為のプロジェクトを任され、当時のシティトラスト信託のCGAM(Citi Global Asset Management)よりFund Admin.部分の分割、引き継ぎを多くの方々に助けられ何とか成し遂げ、1999年1月よりシティトラスト信託銀行の業務部長として職務に当たることとなりました。
2000年問題、時価会計への移行、金融庁の検査等を経験した後に、ビジネスの展開として日興証券の子会社である日興信託との合弁が持ち上がり、日興シティ信託銀行の執行役員 受託業務部長(COO)として2001年11月より従事しましたが、その翌年米国から来たアメリカ人上司との業務上の考え方の違いにより、これ以上自分が日興シティ信託に留まることはプライドとして許しがたく2002年末をもって退職いたしました。退職後、香港在任中に経験した日本社会の閉鎖性(ジャパンプレミアム)の改革を目指し友人の紹介で、IRビジネス(上場企業の社長インタビューをインターネットから配信するサービス)の立ち上げに参画し、ビジネスダイレクターとしてビジネスの発展に丸2年間努力をいたしました。
この2年間はビジネス的には成功いたしませんでしたが、20社以上の東証一部上場の社長インタビューを経験すると共に、今までにない人生観、世の中の幅広い仕組みを学ぶことができました。その後、縁あって現テクシブアソシエイツ社長の山田氏より人材紹介コンサルタントのお誘いを受け、自分の経験を活かせる仕事ととして最適と考え、2005年初より人材紹介コンサルタントとしての経験を積みながら現在に至っております。当初は慣れないこともあり苦労もいたしましたが、何とか生き残ることができ、日々今日より明日は少しでも向上することを旨に精進の毎日です。
金融業界におけるオペレーションを中心として、ミドルオフィス、コンプライアンス、リスク、証券化ビジネス、不動産投資ファンド関連業務、生命保険、損害火災保険営業職等。
最近、登録されているレジュメを見ていると自己分析が出来ていない方を数多く見かけます。自分のスキル、経験に対するマーケットでのバリューが理解できていないのでしょう。残念なことです。単に身の回りのおいしい話やラッキーな人の話に振り回されること無く、王道を歩んで欲しいと思います。たとえそれが遠回りに見えても、長い目で見れば貴方にとってはベストの道だと自信を持って言えます。迷ったときにはプロの意見に耳を傾けてください。なにかしらの得るものがあるはずです。